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喜怒哀楽記

喜・怒・哀・楽・を順番にテーマにして雑記書いていきます。

【喜】ハッピーエンドのドア

いろんな物語を読んだり、映画で見たりすると、そのラストで「目に見える物語」は、いったん終わっちゃう。

 

でも私は、いつも、その先をいろいろ想像する。

白雪姫やシンデレラは「美しい」っていうだけでひとめ惚れしてくる男と結婚して、それからもずっと幸せだったの?

 

ハッピーエンドの先には、どんな物語があるの?

 

 

風と共に去りぬ (1) (新潮文庫)

風と共に去りぬ (1) (新潮文庫)

 

 

風と共に去りぬ」って小説は、さいごはハッピーエンドってわけじゃない。

スカーレットが中身のない見せかけ王子のアシュレーから目が覚めて、やっとレットへの自分の愛に気づくけど、それは遅すぎて、レットはスカーレットを捨てちゃう。

 

でもそこで、スカーレットは泣いて諦めて反省してるだけじゃないからねー。

欲しいものは諦めない強気で、明日に希望をみいだして、「これで私は終わったりしないからねー」って宣言の終わり方してる。

 

 

スカーレット

スカーレット

 

 

だから、続編も違う作家が書いた。

書きやすい物語だからねー。

続編はスカーレットはしつこくレットを追いかけて、いろいろすごい物語盛り上げて、それで最後はレットを取り戻す。

 

続編できれいなハッピーエンドにもってった。

あの続編は本編の「風と共に去りぬ」を貶めてる、って私は思った。

公募で書かれたらしーけど。

 

その先を想像する気にならない終わり方、だから。

続編は、どれもスカーレットらしい勝気をそのまま強調しただけで、なんの意外性もなくて、最後まで読んでたらレットとめでたしめでたしなんだろーなー、って想像がカンタンにできちゃう。

 

本編は、なんでも手にいれてきたスカーレットが、どーしても手にいれらなかった「アシュレーの価値」の崩壊、っていう虚しい結末に辿りついてしまって、アシュレーの価値に目が眩んじゃってたばかりに、手にいれてたレットを失っちゃう、っていう「交換」の話。

 

南部が戦争に負けて、南部の貴族的な優美な世界が崩壊して。

スカーレットはいちど、そんな「価値の崩壊」を体験してる。

その時、なにもかも失ったスカーレットはタラの土を握りしめて、人を殺しても二度と飢えない、って神に誓う。

 

そして、そこからほんとにスカーレットはどんな手段をつかっても、二度と飢えない。

自分だけじゃなくて、自分が属してる枠の中の人たちも一緒に飢えさせずに、自分の世界の再構築をしていく。

 

それで、その再構築の心の支えだったアシュレーっていう価値を、さいごに崩壊させちゃうんだよね。

また荒廃したタラにズタボロになって立ちすくむ、みたいに。

 

でも、スカーレットは、自分の優美な乙女心を失ったかわりに、本当に現実的な女、として目覚める。

二度経験した価値の崩壊っていうのは、どっちの「価値」もけっきょくは優美な幻想にすぎなくて。

崩壊のあとに、スカーレットは「現実」に立ち向かって、現実の中で生きていく。

 

続編は、そのスカーレットの「現実の価値」だったレットを取り戻した、っていうところで終わっちゃって、そこで価値観の締結。

このあとは、スカーレットはレットと夫婦喧嘩しながらも娘を大事に育てて、安泰な老後を迎えちゃうのかなー。

それとも、スカーレットがまた浮気としかして、レットをそれで怒らせて、っていう不倫物語がだらだら続くのかなー。

 

どっちにしても、読者(私)の興味は、続編の先には飛ばない。

 

スカーレットにとっては思い通りのハッピーエンドなんだから、スカーレットは最後のあの馬に乗って駆けてる時は「喜び」でいっぱいだったのかもしれないけど。

 

 

 

痴人の愛 (新潮文庫)

痴人の愛 (新潮文庫)

 

 

この前、「あそびあい」っていうビッチ女子のマンガ読んで、これ思いだした。

有名な名作だから、あらすじは説明しなくてもいーと思うけど。

 

これ、最初に読んだのは、不登校してた小学生の時だった。

最初は、ナオミがだんだん悪女になっていくの見て、それが単純に面白かった。

譲治さんは、自分のアテがはずれちゃったねー、って、憐れに思ったし。

 

それから次に中学と高校の時にまた読み直した。

この時代の日本の情景の描写がすごい好きだったから。

 

読み直してから、私、これは譲治さんにとってバッドエンドじゃないねー、って気づくよーになった。

 

ナオミはほかの男と一緒にいたら、あそこまで堕落したビッチになったのか、わかんないけど。

ナオミには知性がないから、知性を育てれば、もっと知性的な妻になったか、知性的なビッチになったか、わかんない。

 

でも、譲治さんは、ナオミの「女」の部分を育てただけで、知性は育てなかったんだよね。

だって、最初から譲治さんは、ナオミに知性を求めてなかったから。

勉強させてあげる、なんて言って、ナオミをひきとったけど、あれは自分の都合いい妻になれるぐらいの知性を欲しただけで、大した男じゃないっていう自分の価値に気づかれるほどの聡明さに価値をみいだしてたわけじゃない。

 

肌が白くて西洋的な美女。

っていうのが、譲治さんが女に求めてた価値。

 

だから、ナオミは譲治さんの好みのままに育てられた。

 

最初から西洋の白人女性が好きだった譲治さんには、白人信仰みたいなものがあったよね。

あの時代、西洋人を崇めるっていうのは、黄色人の自分をその下に置く、ってことだから。

 

だから、西洋的美人のナオミが、譲治さんを見下すよーになったのは、譲治さんの潜在的な性的倒錯願望の昇華、だと思う。

 

譲治さんの中に、スカーレットみたいな幻想がふわふわあった。

ナオミは優美な存在だ、っていう。

 

スカーレットには、ふわふわ王子のアシュレーと対比する現実王子としてレットがいたけど。

譲治さんの場合、ふわふわ姫のナオミと対比する現実の女は高慢な女王化したビッチナオミ、だったわけ。

 

譲治さんは、おなじ女、に、ふたつの価値をつけて、おなじ女、を二度手にしてる。

 

最初の幻想の価値の崩壊後、譲治さんはタラの土をにぎるかわりに、地面に這う馬となって、現実の価値、っていうものを手にした。

 

そこには譲治さんの現実的な「喜び」があって、「痴人の愛」っていうのは、ハッピーエンドストーリーなんだ、って私は読み直してから気づいた。

 

ナオミを一度追い出した時が「風と共に去りぬ」のラストシーンだとしたら、「痴人の愛」の小説のラストは、続編の「スカーレット」のラストシーン。

 

でも「痴人の愛」は、その先にもいろいろ想像が飛ぶよねー。

譲治さんとナオミが、あーいう関係でそのまま老後を迎えると思えないからねー。

 

どんな物語が続くのか、小説の最後のページの先にドアがあって、読み終わった途端にそれがスッと開いて、その先になにか景色が見える。

 

そのドアを超えて、あっちにちょっと見えてる景色の中に入り込みたくなる。

 

小説を読み終えた読者にとっての「喜び」は、最後の一行を読み終えた瞬間に、その次の行の文章を想像すること、って思った。

 

 

 

 

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