喜怒哀楽記

喜・怒・哀・楽・を順番にテーマにして雑記書いていきます。

【怒】そーだよねー。

この前聞いた、奥華子さんのラジオで。

 

リスナーのグチを聞いてあげるコーナーで、飲み屋で働いてるっていう人のグチが紹介された。

 

その人は、お店のお客さんのいろんなグチを毎日毎日聞いてるんだって。

それも、現在進行形やちょっと前のグチ、っていうだけでなくて、ずっと前のグチとか30年前のグチとか。

 

そのグチ、今、いったいどーしろと、っていうよーな、なんでそんなにいつまでもひきずるのかわかんないグチとか。

 

とにかくお客さんはグチばっか言い続けて、店員はその話をひたすら聞いてあげて。

何十年前のグチとかまで聞かされてると、おかしくなりそーになって、そーいうグチをラジオでこぼしてきてたの。

 

30年前のグチなんてこぼされても困るよねー、って奥華子さんも同情してた。

 

グチって、ただためてるだけじゃ苦しくなるからねー。

どこかに吐きだすと、それでラクになる、っていうの、あるよねー。

だから私も、リアルと切り離して匿名のブログつくって、そこにいろいろ書いてるし。

 

でも、対面でだれかに聞かせるグチって、ただ、「吐きだしたい」だけじゃないよね。

そのリアクションを、相手に求めてたりするよね。

 

ブログも、書いたグチに反応もらえるけど、その反応はすぐに返ってくるとは限らないし、だれにもコメントもらえないかもしれないし、反対にものすっごい数の人に読まれて、おおごとになっちゃったり。

 

だけど、一対一でだれかと対面してグチをこぼせば、その人から目の前で反応もらえるし、ほかの野次が横入りしてくることもないし。

 

飲み屋さんでグチるのは、ただ、吐きだしたいだけ、っていうのもあるかもしれないけどね。

ブログもやってなくて、そーいう場所がほかにはないから、自分と知り合いでもない店員にとりあえず吐きだしてみる、っていう感じ。

 

でも、目の前でグチを聞かされた人は、やっぱりその場でのリアクションは求められる。

 

グチって基本、楽しくない話ばっかだから、聞かされるほーも楽しい気分にはならない。

そーいう「イヤな気分」をムリヤリ共有させられて、その上、なにか反応する負担も強いられて。

 

グチは、吐きだすほーは「モヤモヤを自分の中から出す」わけだけど、聞くほーは、その「モヤモヤを自分の中に取り込む」ことになる。

 

30年前の「え?そんなのまだひきずってんの?」みたいなグチに、

「そんなこと、いい加減忘れちゃったほーがいーですよ」

なんて答えると、

「そーだよねー。忘れちゃうことにするか」

って返ってくればいーけど。

「これができないから、苦しんでるんだろー」

とか、

「おまえになにがわかる」

とか、

「他人事だと思いやがって。ふざけるな」

とか、

「忘れちゃえる人は呑気でいーね」

とか。

グチに反応した相手に、怒ったりバカにしたり。

 

そんなつまらない感情が、グチを吐いた人から返ってくることもある。

 

グチを聞かされる人が返すべき反応って、相手の気分を害しちゃダメなんだよね。

それが絶対条件。

 

でもグチを言うほーは、相手がそれで気分が悪くなるかなんてお構いなしに、自分のグチをひたすら言ったりして。

 

苦情受付係とかもそーだろーけど、仕事でお客さんの「イヤな感情」をぶつけられる役目、って、心の肉体労働だなー、って思う。

 

対面でグチをグチグチ言い続ける人って、望んでる反応はひとつ。

自分を肯定してもらいたい、ってこと。

 

奥華子さんは、そのリスナーのグチに、どーしたらいーか真面目に考えて、それでこんな答えを返してた。

 

グチには、「そーだね、そーだね」って返すのが一番いーよ、って。

そんなグチこぼされてもなー、って困るグチだったり、そんなことでグチるなよー、っていうグチだったり、こーすればグチらずに済むのに、って考えたりしても。

 

グチる人は、自分がほしい反応以外には怒りやすい。

 

だから、グチには、

「そーだね。そーだね」

っていう相槌。

 

めんどくさいグチをひたすらグチグチ聞かされて、いー加減にして、って思ったりしても、

「そーだね。そーだね」

って返せば、グチってる人はとりあえずは気分よくなる。

 

グチを吐くことで気晴らししたい気持ちは、それで晴れるかもしれないよね。

 

「グチの内容」に賛同できなくたって、それを「グチりたい気持ち」には「わかるよ」って言えるね。

 

「そーだね。そーだね」

すごい簡単な言葉で、テキトーすぎる反応かもしれないけど。

 

だけど実際、それ、自分がいつでもできるかなー、って考えると。

 

「そーだね。そーだね」

って、自分の口からはそんなに簡単に出ない。

 

相手のグチにすごい真剣に解決策を考えこんじゃったり。

一生懸命慰めよーとして、大袈裟な言葉とか余計な言葉まで返しちゃったり。

相手の終わらないグチにうんざりしたり。

グチの内容につい批判したり。

 

でも、グチる人は、グチの解決方法を教えろ、って思ってるわけじゃなくて。

大袈裟だったりヘタクソな慰め方は、かえって、バカにされた気になったり傷ついたりして。

 

そーじゃなくて。

グチる自分を肯定してほしいんだよね。

 

グチを聞いた側がグチってる人以上に深刻にうけとめて、

「すっごいわかる」

って手をとって一緒に真剣に泣いてあげたりすると、

「そこまでしてくれなくても…」

って焦ったり、

「そんなに簡単にわかってたまるか」

って気分害したり。

 

グチの扱いは難しい。

 

だから、

「そーだね。そーだね」

っていう、カジュアルな肯定は、グチを聞いてあげる人にも負担は重くないし、グチる人にも重たくなくて、いーのかもね。

 

そーいうことをカジュアルにできる人間になりたいなー。

 

 

 

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