喜怒哀楽記

喜・怒・哀・楽・を順番にテーマにして雑記書いていきます。

【哀】どんぐりの芽

今年の春、近道として使ってる近所の裏道で、「はじめて見るもの」を発見した。

 

その裏道は舗装がされてない細い土の道で、雨が降るとどろどろになって歩けなくなるから、近所の人たちが敷石を勝手に敷いてる手作りの人間獣道。

 

数軒だけの民家が並んでるとこを抜けると、まわりが木立とか畑とか空き地とかになってて、木立のとこの道の両脇は冬はただの土の地面で、春になるとぽよぽよした草がはえてくる。

土にはあちこちにゴルフボールぐらいの穴があいてて、これがなんの穴か私はぜんぜんわかってなくて。

ときどき、土の地面に土の山が出来てて、それはモグラなんだって。

 

春はぽよぽよした草の中に、小さい花も咲く。

むらさきの花とかピンクの花とか白い花とか。

私はぜんぜん花の種類もわかんないんだけど、ちいさい花はどれもすごい自己主張する系の花じゃなくて。

土しかなかった地面に小さい花が咲きだすと「春が来た」ってすごい感じる。

 

夏はたくさん虫が出る道になる。

道が細いから、早朝にそこ通ると、道のこっちからあっちの木の枝とかに、蜘蛛の糸が一本だけはられてるんだよね。

朝日にキラキラしてて。

蜘蛛がジャンプして道を横断したんだと思う。

その糸が顔にひっかかったりする。

暗くなってから通ると、ぜったいなんかの虫がカラダにくっついてきて、自分の部屋までお持ち帰りしちゃう。

だから夏の夜は通らない。

 

っていうか、その道は暗くなったら数軒しかない民家以外逃げ場がないから、女の人はぜったい通らない。

 

秋になると、地面に栗やどんぐりがばらばら落ちてる。

すごい数じゃないけど、栗は近所のおじさんがぜんぶ拾っておやつにしてる。

どんぐりもいつのまになくなるから、鳥が拾っちゃうんだと思ってた。

 

でも去年の秋から冬になって春になって、そこの地面にはずっとどんぐりがばらばら落ちたままだった。

栗はなくなってたけど。

 

どんぐりは落ちたばかりの時は、殻の茶色が濃くて光ってて。

でも乾燥した冬を過ぎると、だんだん茶色が褪せて、殻の表面がからからに乾いて、割れてきて。

 

今年の冬、なんどもその道を通るたび、なんか違和感がいつもあったのは、毎年冬にはなくなってたどんぐりがいつまでもばらばら転がってたからなんだよね。

 

春になって、その違和感がはっきりした。

この前、その道通った時、かさかさに乾いていたどんぐりの何個かが、パカッときれいに二つに割れてた。

中は殻よりやわらかい質感で、ワインレッドの色なの。

それで、きれいにパカッと割れたどんぐりの中から、ほそい芽が出てた。

 

どんぐりの実から細い茎が真上に伸びて、そのいちばん先が双葉になってて。

 

「どんぐりから芽がでてるー」

って、すっごいびっくり。

そんなの、見たことなかったから。

 

今まで、どんぐりはどんぐりのころころした形でしか見たことない。

たまにどんぐりの中から虫が出てきて、その穴が開いてたりするけどね。

でも、どんぐりは楕円の丸い形のまま。

 

だから、どんぐりから発芽するなんて、想像したことなかった。

どんぐりの木って、こーやって育つんだー、ってすごい発見した気になって、興奮して家に帰ってきた。

 

それで自分の部屋で、なんで今までいちども発芽したどんぐりって見たことなかったのかなー、って思った。

今まで毎年いつもどんぐりが落ちてた場所だったからね。

毎年その時期にあの道通って、いつもどんぐり見てたはずなのに。

 

どんぐりから発芽することって滅多になくて、去年から今年にかけてすごい異常気象だからなの?って思った。

 

どんぐりの発芽がまた見たくて、そのあともその道、わざと通った。

発芽してるどんぐりが増えてた。

 

芽がでたら、鳥の餌になっちゃいそーだよねー。

鳥が拾って、あっというまにこのどんぐり、なくなっちゃいそーだよねー。

 

なんて地面見ながら思って、それからハッとなった。

 

毎年毎年、どんぐりが落ちる秋、そのどんぐりを拾ってた人がいたのを思い出したから。

私より年上の男の人で、その人は近所に住む知的障害の人で。

どんぐりを楽しそーに拾い集めて、そばにいつも付き添ってたおばーちゃんのよーな年のお母さんが「虫がわくからポケットにいれたままにしないの」って注意してた。

そーいう光景を、私は今の家に住みだしてから、なんどか見たことある。

 

その家は去年の夏前から、突然空き家になった。

だれもちゃんとした詳しい事情がわかるぐらいの近所づきあいはなかった家だった。

 

近所に伝わってきたのは、そこのお母さんが急死しちゃって、知的障害の息子はひとり暮らしできないから施設でも入ったんじゃない?っていう憶測の噂だった。

 

そこの家が属してた町内会は、母子家庭の家がない地域だった。

シングルマザーの人はいたけど、実家で両親と暮らしてたから、純粋な母子家庭じゃなかったし。

 

その家と近所の家でどんなことがあったのかは私にはぜんぜんわからないけど、なにかイヤなことはあったみたい。

うちはお父さんがぜんぜん帰ってこないから近所から母子家庭って勘違いされること多かったけど、その母子家庭の家の人からもそー思われてた。

 

だから、うちのお母さんは、そこのお母さんから、

「ここらの人は母子家庭に冷たいね」

って言われたことあったんだって。

知的障害の息子さんは、カラダが大きいけど、フツーに喋れる知能はないっていうだけで、すごい大人しい性格の人だった。

でも、カラダが大きくて言葉がぜんぜん通じない男の人がひとりで歩いてると若い女性がこわがる、っていう噂をうちのお母さんが聞いてきたことあった。

 

そこの母子家庭のお母さんもそれで、「ひとりで外に出すと近所から怒られるの」って、息子のどんぐり拾いにつきそいながら、そこを通った私と私のお母さんに話してきたこともあった。

 

そのお母さんは、年々、見てても年をとって弱っていく感じがしてた。

私のお母さんが、親が年になったら成人した息子の介護も体力的にタイヘンだよねー、って言ってた。

そこのお母さんが、うちのお母さんに、自分が死んだらこの子はどーなるのか気になって死ねない、って言ったこともあったんだって。

 

そこの家は、うちが母子家庭じゃないってわかってからは、話しかけてくれなくなった。

母子家庭の仲間がほしかったんだと思う。

だから、仲間じゃない、って思われちゃったんだなー、って思ってた。

 

介護サービスの車がよく来てたから、障害福祉のサポートはちゃんと受けてたんだと思う。

でも、あまり外でそこの家のお母さんも息子も見かけなくて、私はだからあまりそこの家のこと、意識になくなってた。

 

その家が空き家になってから、その家の変化に気づいた。

お母さんが急死しちゃった、っていうのは事実らしくて。

でも、急死の原因とか、その時の状況は近所の人、だれもわかってなくて。

救急車が来たって記憶もなくて。

 

いつのまにその家は家具もぜんぶなくなって、きれいな空き家になってた。

 

そこの息子さん、ちゃんと施設に入れたのかな。

近所の人たちはだれも、それはわからない。

福祉のサポート受けてたから、たぶん大丈夫だよねー、って思うけど。

 

去年の秋、その家が空き家になってたから、どんぐりは拾われなかったんだね。

だれも拾わないどんぐりがそのまま残って、それで春に発芽して。

 

その時になって私ははじめて、どんぐりを拾ってた人がこの近所にもういない、ってこと、意識した。

 

哀しい別れがあって。

それだから、そこのどんぐりから新しい芽が出て。

 

生活は変化する。

幸せな時も、いつかそれが変わる。

家族の死は、どこの家庭にも起こる出来事。

 

近所の人たち(私含めて)他人にとっては、そんな事実にも気づかないほどの剥離した出来事かもしれないけど、その当事者にとって、なにもかも変わっちゃう重大事。

 

どんぐりだけが、その家の変化を知っててたんだね。

どんぐりの発芽は、その家の変化の語り。

 

 

 

 

 

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