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喜怒哀楽記

喜・怒・哀・楽・を順番にテーマにして雑記書いていきます。

【哀】どんぐりの芽

今年の春、近道として使ってる近所の裏道で、「はじめて見るもの」を発見した。

 

その裏道は舗装がされてない細い土の道で、雨が降るとどろどろになって歩けなくなるから、近所の人たちが敷石を勝手に敷いてる手作りの人間獣道。

 

数軒だけの民家が並んでるとこを抜けると、まわりが木立とか畑とか空き地とかになってて、木立のとこの道の両脇は冬はただの土の地面で、春になるとぽよぽよした草がはえてくる。

土にはあちこちにゴルフボールぐらいの穴があいてて、これがなんの穴か私はぜんぜんわかってなくて。

ときどき、土の地面に土の山が出来てて、それはモグラなんだって。

 

春はぽよぽよした草の中に、小さい花も咲く。

むらさきの花とかピンクの花とか白い花とか。

私はぜんぜん花の種類もわかんないんだけど、ちいさい花はどれもすごい自己主張する系の花じゃなくて。

土しかなかった地面に小さい花が咲きだすと「春が来た」ってすごい感じる。

 

夏はたくさん虫が出る道になる。

道が細いから、早朝にそこ通ると、道のこっちからあっちの木の枝とかに、蜘蛛の糸が一本だけはられてるんだよね。

朝日にキラキラしてて。

蜘蛛がジャンプして道を横断したんだと思う。

その糸が顔にひっかかったりする。

暗くなってから通ると、ぜったいなんかの虫がカラダにくっついてきて、自分の部屋までお持ち帰りしちゃう。

だから夏の夜は通らない。

 

っていうか、その道は暗くなったら数軒しかない民家以外逃げ場がないから、女の人はぜったい通らない。

 

秋になると、地面に栗やどんぐりがばらばら落ちてる。

すごい数じゃないけど、栗は近所のおじさんがぜんぶ拾っておやつにしてる。

どんぐりもいつのまになくなるから、鳥が拾っちゃうんだと思ってた。

 

でも去年の秋から冬になって春になって、そこの地面にはずっとどんぐりがばらばら落ちたままだった。

栗はなくなってたけど。

 

どんぐりは落ちたばかりの時は、殻の茶色が濃くて光ってて。

でも乾燥した冬を過ぎると、だんだん茶色が褪せて、殻の表面がからからに乾いて、割れてきて。

 

今年の冬、なんどもその道を通るたび、なんか違和感がいつもあったのは、毎年冬にはなくなってたどんぐりがいつまでもばらばら転がってたからなんだよね。

 

春になって、その違和感がはっきりした。

この前、その道通った時、かさかさに乾いていたどんぐりの何個かが、パカッときれいに二つに割れてた。

中は殻よりやわらかい質感で、ワインレッドの色なの。

それで、きれいにパカッと割れたどんぐりの中から、ほそい芽が出てた。

 

どんぐりの実から細い茎が真上に伸びて、そのいちばん先が双葉になってて。

 

「どんぐりから芽がでてるー」

って、すっごいびっくり。

そんなの、見たことなかったから。

 

今まで、どんぐりはどんぐりのころころした形でしか見たことない。

たまにどんぐりの中から虫が出てきて、その穴が開いてたりするけどね。

でも、どんぐりは楕円の丸い形のまま。

 

だから、どんぐりから発芽するなんて、想像したことなかった。

どんぐりの木って、こーやって育つんだー、ってすごい発見した気になって、興奮して家に帰ってきた。

 

それで自分の部屋で、なんで今までいちども発芽したどんぐりって見たことなかったのかなー、って思った。

今まで毎年いつもどんぐりが落ちてた場所だったからね。

毎年その時期にあの道通って、いつもどんぐり見てたはずなのに。

 

どんぐりから発芽することって滅多になくて、去年から今年にかけてすごい異常気象だからなの?って思った。

 

どんぐりの発芽がまた見たくて、そのあともその道、わざと通った。

発芽してるどんぐりが増えてた。

 

芽がでたら、鳥の餌になっちゃいそーだよねー。

鳥が拾って、あっというまにこのどんぐり、なくなっちゃいそーだよねー。

 

なんて地面見ながら思って、それからハッとなった。

 

毎年毎年、どんぐりが落ちる秋、そのどんぐりを拾ってた人がいたのを思い出したから。

私より年上の男の人で、その人は近所に住む知的障害の人で。

どんぐりを楽しそーに拾い集めて、そばにいつも付き添ってたおばーちゃんのよーな年のお母さんが「虫がわくからポケットにいれたままにしないの」って注意してた。

そーいう光景を、私は今の家に住みだしてから、なんどか見たことある。

 

その家は去年の夏前から、突然空き家になった。

だれもちゃんとした詳しい事情がわかるぐらいの近所づきあいはなかった家だった。

 

近所に伝わってきたのは、そこのお母さんが急死しちゃって、知的障害の息子はひとり暮らしできないから施設でも入ったんじゃない?っていう憶測の噂だった。

 

そこの家が属してた町内会は、母子家庭の家がない地域だった。

シングルマザーの人はいたけど、実家で両親と暮らしてたから、純粋な母子家庭じゃなかったし。

 

その家と近所の家でどんなことがあったのかは私にはぜんぜんわからないけど、なにかイヤなことはあったみたい。

うちはお父さんがぜんぜん帰ってこないから近所から母子家庭って勘違いされること多かったけど、その母子家庭の家の人からもそー思われてた。

 

だから、うちのお母さんは、そこのお母さんから、

「ここらの人は母子家庭に冷たいね」

って言われたことあったんだって。

知的障害の息子さんは、カラダが大きいけど、フツーに喋れる知能はないっていうだけで、すごい大人しい性格の人だった。

でも、カラダが大きくて言葉がぜんぜん通じない男の人がひとりで歩いてると若い女性がこわがる、っていう噂をうちのお母さんが聞いてきたことあった。

 

そこの母子家庭のお母さんもそれで、「ひとりで外に出すと近所から怒られるの」って、息子のどんぐり拾いにつきそいながら、そこを通った私と私のお母さんに話してきたこともあった。

 

そのお母さんは、年々、見てても年をとって弱っていく感じがしてた。

私のお母さんが、親が年になったら成人した息子の介護も体力的にタイヘンだよねー、って言ってた。

そこのお母さんが、うちのお母さんに、自分が死んだらこの子はどーなるのか気になって死ねない、って言ったこともあったんだって。

 

そこの家は、うちが母子家庭じゃないってわかってからは、話しかけてくれなくなった。

母子家庭の仲間がほしかったんだと思う。

だから、仲間じゃない、って思われちゃったんだなー、って思ってた。

 

介護サービスの車がよく来てたから、障害福祉のサポートはちゃんと受けてたんだと思う。

でも、あまり外でそこの家のお母さんも息子も見かけなくて、私はだからあまりそこの家のこと、意識になくなってた。

 

その家が空き家になってから、その家の変化に気づいた。

お母さんが急死しちゃった、っていうのは事実らしくて。

でも、急死の原因とか、その時の状況は近所の人、だれもわかってなくて。

救急車が来たって記憶もなくて。

 

いつのまにその家は家具もぜんぶなくなって、きれいな空き家になってた。

 

そこの息子さん、ちゃんと施設に入れたのかな。

近所の人たちはだれも、それはわからない。

福祉のサポート受けてたから、たぶん大丈夫だよねー、って思うけど。

 

去年の秋、その家が空き家になってたから、どんぐりは拾われなかったんだね。

だれも拾わないどんぐりがそのまま残って、それで春に発芽して。

 

その時になって私ははじめて、どんぐりを拾ってた人がこの近所にもういない、ってこと、意識した。

 

哀しい別れがあって。

それだから、そこのどんぐりから新しい芽が出て。

 

生活は変化する。

幸せな時も、いつかそれが変わる。

家族の死は、どこの家庭にも起こる出来事。

 

近所の人たち(私含めて)他人にとっては、そんな事実にも気づかないほどの剥離した出来事かもしれないけど、その当事者にとって、なにもかも変わっちゃう重大事。

 

どんぐりだけが、その家の変化を知っててたんだね。

どんぐりの発芽は、その家の変化の語り。

 

 

 

 

 

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【怒】そーだよねー。

この前聞いた、奥華子さんのラジオで。

 

リスナーのグチを聞いてあげるコーナーで、飲み屋で働いてるっていう人のグチが紹介された。

 

その人は、お店のお客さんのいろんなグチを毎日毎日聞いてるんだって。

それも、現在進行形やちょっと前のグチ、っていうだけでなくて、ずっと前のグチとか30年前のグチとか。

 

そのグチ、今、いったいどーしろと、っていうよーな、なんでそんなにいつまでもひきずるのかわかんないグチとか。

 

とにかくお客さんはグチばっか言い続けて、店員はその話をひたすら聞いてあげて。

何十年前のグチとかまで聞かされてると、おかしくなりそーになって、そーいうグチをラジオでこぼしてきてたの。

 

30年前のグチなんてこぼされても困るよねー、って奥華子さんも同情してた。

 

グチって、ただためてるだけじゃ苦しくなるからねー。

どこかに吐きだすと、それでラクになる、っていうの、あるよねー。

だから私も、リアルと切り離して匿名のブログつくって、そこにいろいろ書いてるし。

 

でも、対面でだれかに聞かせるグチって、ただ、「吐きだしたい」だけじゃないよね。

そのリアクションを、相手に求めてたりするよね。

 

ブログも、書いたグチに反応もらえるけど、その反応はすぐに返ってくるとは限らないし、だれにもコメントもらえないかもしれないし、反対にものすっごい数の人に読まれて、おおごとになっちゃったり。

 

だけど、一対一でだれかと対面してグチをこぼせば、その人から目の前で反応もらえるし、ほかの野次が横入りしてくることもないし。

 

飲み屋さんでグチるのは、ただ、吐きだしたいだけ、っていうのもあるかもしれないけどね。

ブログもやってなくて、そーいう場所がほかにはないから、自分と知り合いでもない店員にとりあえず吐きだしてみる、っていう感じ。

 

でも、目の前でグチを聞かされた人は、やっぱりその場でのリアクションは求められる。

 

グチって基本、楽しくない話ばっかだから、聞かされるほーも楽しい気分にはならない。

そーいう「イヤな気分」をムリヤリ共有させられて、その上、なにか反応する負担も強いられて。

 

グチは、吐きだすほーは「モヤモヤを自分の中から出す」わけだけど、聞くほーは、その「モヤモヤを自分の中に取り込む」ことになる。

 

30年前の「え?そんなのまだひきずってんの?」みたいなグチに、

「そんなこと、いい加減忘れちゃったほーがいーですよ」

なんて答えると、

「そーだよねー。忘れちゃうことにするか」

って返ってくればいーけど。

「これができないから、苦しんでるんだろー」

とか、

「おまえになにがわかる」

とか、

「他人事だと思いやがって。ふざけるな」

とか、

「忘れちゃえる人は呑気でいーね」

とか。

グチに反応した相手に、怒ったりバカにしたり。

 

そんなつまらない感情が、グチを吐いた人から返ってくることもある。

 

グチを聞かされる人が返すべき反応って、相手の気分を害しちゃダメなんだよね。

それが絶対条件。

 

でもグチを言うほーは、相手がそれで気分が悪くなるかなんてお構いなしに、自分のグチをひたすら言ったりして。

 

苦情受付係とかもそーだろーけど、仕事でお客さんの「イヤな感情」をぶつけられる役目、って、心の肉体労働だなー、って思う。

 

対面でグチをグチグチ言い続ける人って、望んでる反応はひとつ。

自分を肯定してもらいたい、ってこと。

 

奥華子さんは、そのリスナーのグチに、どーしたらいーか真面目に考えて、それでこんな答えを返してた。

 

グチには、「そーだね、そーだね」って返すのが一番いーよ、って。

そんなグチこぼされてもなー、って困るグチだったり、そんなことでグチるなよー、っていうグチだったり、こーすればグチらずに済むのに、って考えたりしても。

 

グチる人は、自分がほしい反応以外には怒りやすい。

 

だから、グチには、

「そーだね。そーだね」

っていう相槌。

 

めんどくさいグチをひたすらグチグチ聞かされて、いー加減にして、って思ったりしても、

「そーだね。そーだね」

って返せば、グチってる人はとりあえずは気分よくなる。

 

グチを吐くことで気晴らししたい気持ちは、それで晴れるかもしれないよね。

 

「グチの内容」に賛同できなくたって、それを「グチりたい気持ち」には「わかるよ」って言えるね。

 

「そーだね。そーだね」

すごい簡単な言葉で、テキトーすぎる反応かもしれないけど。

 

だけど実際、それ、自分がいつでもできるかなー、って考えると。

 

「そーだね。そーだね」

って、自分の口からはそんなに簡単に出ない。

 

相手のグチにすごい真剣に解決策を考えこんじゃったり。

一生懸命慰めよーとして、大袈裟な言葉とか余計な言葉まで返しちゃったり。

相手の終わらないグチにうんざりしたり。

グチの内容につい批判したり。

 

でも、グチる人は、グチの解決方法を教えろ、って思ってるわけじゃなくて。

大袈裟だったりヘタクソな慰め方は、かえって、バカにされた気になったり傷ついたりして。

 

そーじゃなくて。

グチる自分を肯定してほしいんだよね。

 

グチを聞いた側がグチってる人以上に深刻にうけとめて、

「すっごいわかる」

って手をとって一緒に真剣に泣いてあげたりすると、

「そこまでしてくれなくても…」

って焦ったり、

「そんなに簡単にわかってたまるか」

って気分害したり。

 

グチの扱いは難しい。

 

だから、

「そーだね。そーだね」

っていう、カジュアルな肯定は、グチを聞いてあげる人にも負担は重くないし、グチる人にも重たくなくて、いーのかもね。

 

そーいうことをカジュアルにできる人間になりたいなー。

 

 

 

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【喜】幸せの分岐点

 子供の頃から大好きだった「赤毛のアン」シリーズ。

 

親が持ってたアニメや、借りてきた映画のも見たけど、私は小説がいちばん好き。

アンの舞台になったプリンス・エドワード島の写真集とかも、見るの好きだけどね。

 

アニメはわりと原作のイメージの映像化がうまいなー、って思ったけど、実写の映画のは、アンがぜんぜん違うー、って、そこがひっかかりすぎて好きじゃなかった。

実写のマリラとマシュウはぴったりだったけど、リンドおばさんとかダイアナもぜんぜん違うよね。(私のイメージでは)

アニメはアンの声がすっごいカン高くて、それが苦手。

 

アンはぜったい小説で読むのがいちばん。

 

赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ〈1〉 (新潮文庫)

赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ〈1〉 (新潮文庫)

 

 

親が全巻もってたから、私は繰り返し繰り返し、なんども読んだ。

でも、このシリーズ、アンじゃなくてアンの村の人たちの話だけっていう巻もあるし、結婚してからはアンの子供たちが中心になったりしてて、ずっとアンが主人公っていうわけじゃない。

 

いちどは私も全巻読んだけど、そのあと、「繰り返し繰り返し」っていうのは、このシリーズの中の何冊か、だけ。

 

まずは1巻目の「赤毛のアン」ね。

それと。

アンの愛情―赤毛のアン・シリーズ〈3〉 (新潮文庫)

アンの愛情―赤毛のアン・シリーズ〈3〉 (新潮文庫)

 

 アンが大学に通う4年間、「パティの家」って名づけた家を借りて、友だちと4人でルームシェアする話。

 

アンの幸福―赤毛のアン・シリーズ〈5〉 (新潮文庫)

アンの幸福―赤毛のアン・シリーズ〈5〉 (新潮文庫)

 

 アンが校長先生になって下宿中、医大生のギルバートに送る手紙で構成されてる巻。

こんな大長文の手紙を何通も読み続けたギルバートの愛ってすごいよねー。

ってぐらい、手紙長すぎ。

 

この3冊だけはすごい好きで、繰り返し読む時は、いつもこの3冊のうちのどれかを読んでる。

その中でも私は「パティの家」の話がいちばん好き。

 

アンのシリーズの中では、アンも好きだけどマリラとマシュウとルビーが私のお気に入りで、それ以上にいちばん好きになったキャラクターが、パティの家のルームメイトのひとり、フィリパ・ゴードン。

 

すっごい美人でお金持ちで、すごいモテて、自分でもお金持ちで美形の男じゃないと結婚なんてしない、っていつも言ってて。

それなのに、フィリパは、すっごい貧乏でぜんぜん美形じゃない神学生と相違相愛になって、貧乏な結婚を決意しちゃうの。

 

自分の価値観が、すとんと変わっちゃう恋。

そんな恋に憧れたわけじゃなくて、なんかフィリパの潔さがすごい好き。

 

反対に、アンの恋愛は、恋愛小説によくありがちで、「本命」とほんとは相思相愛なのに自分の気持ちに気づけてなくて、っていう、うろうろする過程がある。

ギルバートを最初は嫌ってムシして。

その感情のこじれが解けて、親友になるけど、ギルバートが自分に向ける恋愛感情を迷惑がって。

そんなアンも、違う男に恋をして、つきあって。

でもプロポーズ受けた時に、自分がその人に恋してなかったことに気づいて。

 

こんなふーに、アンがギルバートと恋人になるまで、いろいろこじれてる。

それでも、ふたりはやっと相思相愛になって、結婚するの。

 

赤毛のアン」はギルバートとの恋愛小説、っていってもいーのかもしれない。

でも私は、そーいう部分にはぜんぜん惹かれなかった。

 

私が「赤毛のアン」にあんなに夢中になったのは、アンが勉強を通じて、自分の進みたい道を切り開いていったから。

学校にもちゃんと通わせてもらえなかった孤児のアンが、男の子と間違えられてグリンゲイブルズでひきとられることになって。

そこではじめて、ダイアナっていう友だちと、学校っていう勉強できる環境をアンは手にいれて。

 

アンは自分の想像力でいろんなふーに生活に楽しみを膨らませてって、アンに魅了される周囲の人たちと楽しい繋がりを増やしてって。

 

そーいう、アンの生活がどんどんハッピーになっていく話でもあるんだけど、私がこの物語でいちばん惹かれたのは、アンがすごい勉強好き、ってとこだった。

 

自分とおなじぐらい勉強ができるギルバートをいつもライバルって意識して、トップの成績をとろーと勉強頑張るの。

そーすれば、マシュウやマリラを喜ばせれるから。

 

だれからも愛されない、だれからも欲しがられなかった孤児のアンは、グリンゲイブルズではじめて、自分の居場所を得て、それを失いたくなかった。

 

マリラから仕込まれる家事はどれも苦手だったけど、勉強は好きなアンは、優秀な成績でマシュウとマリラに「自分をひきとってよかった」と思ってもらう。

 

女の子は家の手伝いをして、家事が得意になって、大人になれば結婚して、家の中のことをやって子育てすればいい、っていう時代に。

アンは、どんどん勉強して、すごい優秀な成績おさめてって、大学まで進学する。

 

マシュウもマリラも、「家の手伝いさせるためにひきとった」はずなのに、アンにはそれを押し付けないで、アンがどんどん上の学校に進んでいくのをすごい喜んで。

 

勉強をすることでアンは賢くなれて、古い女の生き方じゃなくて、想像力の豊かなアンらしい自由な生き方をするんだろーなー、ってワクワクしながら読んでた。

 

でもね。

アンは、ギルバートと結婚すると、あっさりと、「学校」っていう世界から離れちゃう。

もう教えることがおしまい、っていうことに喜びすらいだいて。

 

 

アンの夢の家―赤毛のアン・シリーズ〈6〉 (新潮文庫)

アンの夢の家―赤毛のアン・シリーズ〈6〉 (新潮文庫)

 

 

赤毛のアンは、この「夢の家」から、結婚生活の話に一変する。

既婚婦人になったアンは、分別もつくよーになって、医師として働くギルバートに自分は家をまもることで尽くして。

ギルバートの子供を何人も生んで、子供を育てて、ギルバートの浮気に悩んで。

 

私は、アンが結婚してからの話は、繰り返し読む気にならない。

結婚してから、私にとって、アンの世界は一気につまんなくなっちゃった。

 

この時代だから、女の人の幸せはやっぱりこんな形でしかないのかな。

どんなに勉強しても、どんな男たちより優秀でも、学校の校長にもなれても、でも、結婚したら、それぜんぶ捨てて、夫が基準になる生活がすべてになっちゃう。

 

新しい夫婦、っていう形にもならなかったアンの物語。

アンはちょっと個性的なキャラクターだけど、妻として、母として、とってもありがちなストーリーが後半、だらだらと続くだけ。

 

勉強をすることで、グリンゲイブルズの子、になりたかったアンは、マシュウが死ぬ前日、アンは、自分が男の子じゃなくてもマシュウに受け入れられてたことを知る。

マシュウは、アンをそのまま受け入れて愛したんだよね。

 

ギルバートも、アンがどんなにひねくれたことしても、ずっとアンを思い続けてて、アンをぜんぶ受け入れて愛してる。

 

アンは、勉強することで自分の居場所をつくる必要なんてなかったの。

だから、自分をそのまま受け入れてくれる人と結婚したら、あとはその家を守るだけ。

 

アンが求めていたのは、想像力で広げていった大きな世界で自由に生きる、ってことじゃなくて、あくまでも自分の居場所を探しつづけていたんだと思う。

それを見つけて手にいれた途端、アンの世界はそれを取り囲む枠でおおわれて、その枠からアンはもう出よーとしなかった。

 

アンの喜びは、私が思い描いてたものとぜんぜん違った。

勝手にアンに自分の憧れをかさねてた私は、アンが結婚してから、ぽつんと取り残されちゃった気分になって、アンの家の前から立ち去っちゃった。

 

私にはわからないアンの喜び。

 

結婚してからもアンは変わってないよ、って人もいると思うけどね。

 

「アンの夢の家」は、

アンの世界のなにに惹かれていたのか、人それぞれに感じてるアンシリーズの「好き」っていう感情の分岐点になってると思う。

 

 

 

 

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【楽】ラクになれなかった少年

このアニメを何度か見たけど、そのたびにいつもおなじモヤモヤが残っちゃって、見終わったあと、

「あー、面白かった♪」

って思えない。

 

キャラクターはどれも好きなんだけど。

 

(※この記事はネタバレも含みます)

 

Mr.インクレディブル [DVD]

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主人公のMr.インクレディブルは、フツーの人間とは違う肉体をもつスーパーヒーロー。

スーパーヒーローはほかにもいて、その仲間とつねに世界の平和を守ってた。

でも、あることからスーパーヒーローに対して世間の風当りが強まって、国はスーパーヒーローたちを引退させてフツーの一般人として暮らさせる。

Mr.インクレディブルはかつてのスーパーヒーロー仲間のイラスティガールと結婚して、保険会社のサラリーマンをやりながら、子供3人を育ててた。

でも、Mr.インクレディブルはまたスーパーヒーローに戻りたくて仕方ない。

それをいつも、妻のイラスティガールにたしなめられてた。

そしたらある日突然、スーパーヒーローとしての力が必要だから、って、Mr.インクレディブルはナゾのオファーを受けて、その話に乗っちゃう。

だけどその話は陰謀で、Mr.インクレディブルに恨みを持つシンドロームが、Mr.インクレディブルとその家族を殺そうとして、Mr.インクレディブルは家族ぜんいんスーパーヒーロー化して、そのシンドロームと戦う。

 

っていうストーリー。

 

最後はね、Mr.インクレディブル一家が勝つの。

悪者のシンドロームは死んじゃう。

それでハッピーエンド。

 

シンドロームはとても狡猾な悪者で、そのまま放置してたら世界は暗黒に支配されちゃうからね。

世界をまもるためにスーパーヒーローたちは戦って、勝って、人類の平和を守るからね。

スカッとする話だよね。

 

って見るべきストーリーなんだろーけど。

スカッとしないんだよね。

 

すごいモヤモヤだけが残る。

「えー、これディズニーでしょ」って思うと、余計にモヤモヤがモヤる。

 

悪者のシンドロームは、かつては「インクレディボーイ」って名乗って、インクレディブルとそっくりの格好してた、Mr.インクレディブルの熱狂的ファンの少年。

Mr.インクレディブルに憧れすぎて、どこにでもついてって、Mr.インクレディブルのスーパーヒーローのミッションの邪魔にもなったりして。

 

それで、Mr.インクレディブルから冷淡な拒絶の言葉を吐かれちゃう。

憧れのヒーローから拒絶された少年は激しいショックに陥って、そのままスーパーヒーローへの憎悪をいだくよーになって、大人になってからMr.インクレディブルに復讐をするの。

 

シンドロームは、Mr.インクレディブルと対決した時に、自分のその過去の話を聞かせる。

Mr.インクレディブルは、シンドロームが、昔自分と同じ格好してつきまとっていた熱狂的ファンの少年だったとわかるの。

 

自分の心無い一言が、あの自分を熱愛していた少年を、こんなに憎悪の塊の悪者にしてしまったことに気づくの。

 

でもねー。

このアニメ、最後はMr.インクレディブルは直接手をくだしたわけじゃないけど、シンドロームを「悪者」にしたまま、死なせちゃうのね。

 

シンドロームは、熱愛していたスーパーヒーローに、二度殺される。

一度目は、自分の熱狂的好意を冷淡に拒絶された時。

そして二度目は、そのスーパーヒーローの敵として、ほんとーに死に追いやられちゃう。

 

Mr.インクレディブルは、インクレディボーイに向けた自分の冷淡な拒絶を、結局償うことはなかった。

政府からヒーロー活動を禁じられたあとも世界の平和をまもる、っていうスーパーヒーローでいることにすごい固執し続けたMr.インクレディブルは、その自分の格好よさに強烈に魅せられた少年の憧れを、「邪魔だ」と切り捨てたんだよね。

 

そのショックからスーパーヒーローへ凄まじい憎悪をいだいて世界の悪の側に立った「元・世界平和を守るスーパーヒーローに憧れた少年」を、立ち直らせれるのは、Mr.インクレディブルしかいなかったのに。

 

でも、Mr.インクレディブルがまもったのは、自分の家族だけで、スーパーヒーローになりたかった少年の憧れ、じゃない。

 

仲間になりたがった少年を自分が見捨てて悪役に育て、その悪役と戦って殺して、Mr.インクレディブル自身の平和を取り戻したお話。

 

堀江貴文さんの言葉を私はここで思い出す。

 

堀江貴文に聞く【人脈編】:信頼していたビジネスパートナーに裏切られたら - 誠 Biz.ID

 

ライブドア時代、ビジネスでもっとも信頼していた仲間に裏切られたことがあります。それがあまりに寂しく、「人に裏切られないためには」と考えを巡らせましたが、「許すしかない」という結論に至りました。すなわち、裏切られないように事前の対策を完璧に打つことは不可能だからです。

 そもそも、人間はそれぞれに価値観が違うものだから、相手に「裏切ろう」という意思があったのかどうかすら、本当のところは分からない。悪意がないのであれば、「モラルの違い」で済んでしまう話です。要は自分が勝手に信じたのだから、「裏切り」も受け入れるくらいが、バランス的にちょうどいい。

 「恨み」というエネルギーは恐ろしく強く、人間の一生を左右しかねない。そのことを考えれば、そうした負の感情に身をゆだねるよりも、「裏切りを許す」あるいは「忘れる」ということが大事です。

 

もし、インクレディボーイに、この「許す」ということができたら、ぜんぜん違った人生があって、Mr.インクレディブルに復讐して死なずに済んだだろーし、自分の違う「憧れ」の対象を見つけて、それで幸せに生きてたかもしれないよね。

 

でも、インクレディボーイは、あの時まだ少年だったし、その後、「許す」っていう感覚をつかめないまま大人になっちゃった。

 

それはとても悲劇だけど。

 

だけど。

そのあとでもう一度、「許す」っていう感覚を抱けるチャンスはあった、って思う。

 

それが、シンドロームとして対決したMr.インクレディブルに、「自分はかつてのインクレディボーイだった」と打ち明けた時。

その時に、Mr.インクレディブルが、シンドロームになにをしたら、シンドロームMr.インクレディブルを「許せた」だろー、って、すごい考える。

 

シンドロームMr.インクレディブルを許せるかどーか、の鍵は、Mr.インクレディブルが持ってたんじゃないかな、って思う。

 

Mr.インクレディブルは、インクレディボーイに自分を許してもらうことができなかった。

 

それは、

「できなかった」

のかな。

「しなかった」

のかな。

 

いろんな解釈ができるだろーけど、私は、子供時代に憧れたスーパーヒーローの敵になったまま死んでいったインクレディボーイを救えたのは、そのスーパーヒーローだけだったよー、って悲しく思う。

 

インクレディボーイの恨みをMr.インクレディブルが解けたなら、ふたりともラクになれたのに。

 

恨みからラクになれなかった少年が、その自分の恨みに大人になった自分が殺されちゃう。

 

それを「自業自得」で片づけちゃうにはあまりに理不尽かなー、ってモヤモヤが残ったストーリーだった。

 

 

 

 

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